歌手イルカのwiki経歴!夫(神部和夫)のおかげでソロデビュー!

2024年の紅白歌合戦に出場が決まった歌手のイルカさん!

紅白歌合戦出場は32年ぶりとなる2回目で楽しみにしている人も多いはずです!

今は亡き夫(神部和夫さん)のおかげでソロデビューをしました。

「フォーク界のアイドル」とまで言われ一躍人気になったイルカさん。

そんなイルカさんのwiki経歴を振り返ってみましょう。

目次

歌手のイルカのwiki経歴

イルカのプロフィール
  • 名前:イルカ
  • 本名:神部としえ(かんべとしえ) ※旧姓:保坂としえ
  • 生年月日:1950年12月3日(73歳)
  • 出身地:東京都 中野区
  • 学歴:中野区立谷戸小学校→東京文化中学校→東京文化高等学校→女子美術大学卒業
  • 職業:歌手(フォークシンガー)、絵本作家、エッセイ作家
  • 所属:イルカオフィス
  • デビュー時期:1970年~シュリークス、1974年~イルカ
  • 趣味:パッチワーク
  • 特技:絵画、イラスト

イルカさんは東京都中野区出身のフォークシンガーです。

名前の由来は、大学時代にフォークソング同好会の先輩のギターケースを「イルカみたい」って言ったことがきっかけ。

「イルカって言った子」と話題になり、そのまま「イルカ」とあだ名がついてしまったようです。

また、絵本作家やエッセイ作家としても活動しており今までいくつもの絵本を世に出しています。

初期の頃の絵本やエッセイなどはすでに絶版になっていて、イルカさん本人も持っていないものもあるとのこと。

イルカさんの描く温かな絵やエッセイは根強いファンも多く、未だに求めている人は多いようです。

イルカさんはいつか小さな美術館ができたらいいなと思っているようです。

絵柄を見る限り、イルカさんの穏やかな性格が映し出されているような気がして温かい気持ちになりますね!

イルカの主な名曲

曲タイトル発売日備考
なごり雪1975年11月5日オリコン最高4位、1976年度年間チャート11位。
フォロー・ミー1981年05月25日11枚目のシングル。CDランキング最高順位34
まあるいいのち2007年5月9日住友生命イメージソング
雨の物語1977年3月25日
TBS『ロマンを旅する』テーマソング
オリコン最高16位、1977年度年間チャート34位。
海岸通1979年04月25日カバーシングル。CDランキング最高順位24位
君は悲しみの1976年04月25日CDランキング最高順位26位
片想いの少女へ1976年11月05日CDランキング最高順位32位

イルカさんのベストヒット曲と言えば、かぐや姫の曲をカバーした『なごり雪』

自身のプロデューサーであった今は亡き夫の神部和夫さんがカバー曲を歌うことを提案。

しかし、イルカさん自体は歌う迄に自分がこの曲をカバーしていいのか、とてもためらっていたようです。

レコーディング直前まで自分が歌うことを申し訳なく思い悩んでいたとのこと。

このときかぐや姫の伊勢正三さんがイルカさんを説得したそうです。

「イルカが嫌いじゃないなら、僕が作った歌を歌ってくれたらうれしい」と言ってくれたので、私は2度くらいチラ見して、「本当に? うれしいの?」って言ったら、「うれしいよ」って。その瞬間に完全に吹っ切れましたね。

日刊現代

結果、かぐや姫の「なごり雪」がイルカの「なごり雪」としてさらに多くの人に聞かれるようになりました。

葛藤があったからこそ、人の心を打つような歌が歌えるのかもしれませんね!

夫のフォークソンググループ『シュリークス』の一員に!

イルカさんは大学時代フォークソング同好会に学生コーチとして来ていた、後に夫になる神部和夫さんと出会いました。

大学卒業後夫の誘いをきっかけに歌手になることを決意し、シュリークスの一員になりました。

シュリークスでは「保坂としえ」として活躍していました。

後に大ヒット曲になるかぐや姫の「なごり雪」も同じ事務所だったため身近で見ることができる環境で歌を磨きました。

しかし音楽のことをプロとして続ける気はあまり考えていませんでした。

音楽は趣味で続けるのが一番

音楽関係にいた父親の背中を見ていた経験から、音楽を仕事にする厳しさを知っていたイルカさん。

当時のイルカさんは人前に出るのが苦手でソロデビューなんて全く考えていなかったようです。

今のフォークソング界のベテランとして活躍するイルカさんからは考えられませんね!

ソロデビューのきっかけは夫だった!

イルカさんの学生時代に加入したフォークソンググループ「シュリークス」は1973年に解散しました。

解散後は、イルカさんの才能を認めていた夫の神部和夫さんのススメでソロデビューをすることになりました。

はじめは嫌がっていたイルカさんでしたが、一度言ったら曲げない夫の神部和夫さんには折れるしかなかったそうです。

「私の全部をあげますから、どうぞ素材として使ってください」とこの時、私は言いました。私はただ夫と一緒に歌っていたかった。でも、夫が人生のすべてを賭けてまで「イルカ」という私をプロデュースしたいと言ってくれるのであれば、「もう、私はあげます」って思ったんです。

家族葬のファミーユ

若い頃からイルカさんの歌の才能を認めていた夫の神部和夫さん。

まずは「シュリークス」で訓練期間を設けてからソロデビューを支える準備をしていたそうです。

70歳を超えてもなお歌で人々に感動を与えるイルカさんのことを先見の明でわかっていたのかもしれませんね!

夫と死別の最後の会話

夫の神部和夫さんは2007年3月21日に59歳の若さでパーキンソン病によりお亡くなりになりました。

イルカさんは亡くなる20年も前から病気と闘ってきた夫の神部和夫さんを、妻として懸命に支えてきました。

北海道に病床を移した夫に、定期的に看病できるように部屋を借りて本土と行き来をしていたとのこと。

亡くなる直前まで、耳にイヤホンをかけて息子(神部冬馬)の歌を聞かせていたとのこと。

夫の神部和夫さんの最後の会話は言葉ではなく、まばたきを3回して思いを伝えて天国に旅立ったと言います。

「夫は言葉を発することはできませんでしたから、何とか最後の力を振り絞って私と息子の冬馬(とうま)に『2人の話は聞いていたよ』、そして『さようなら』を伝えてくれたと思います」。

毎日新聞

「2人の話は聞いていたよ」、「さようなら」と伝えていたと思うとのこと。

夫婦としても、親子としても絆があったからこそ最後の看取りができたのだと思われます。

その後も、現在まで歌手活動を行っているイルカさんはきっと夫の神部和夫さんの思い出に支えられているのでしょうね。

歌手イルカのwiki経歴!夫(神部和夫)のおかげでソロデビュー!・まとめ

いかがでしたでしょうか。

これまで、歌手のイルカさんのwiki経歴やソロデビューのきっかけをまとめてみました。

若い頃から歌の才能を見込んで、ソロデビューまでの道のりを作ってくれた夫の神部和夫さん。

今のイルカさんがいるのは、今は亡き夫の神部和夫さんの力も大きいのではないかと思われます。

2024年の紅白歌合戦で2回目の出演となるイルカさんの歌声は、また多くの人々の心を動かすでしょう。

これからもイルカさんの末永い活躍を期待したいと思います!

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